2015年12月5日土曜日

ディーディーディディーディディーディディーディディー♪

はいカッコ良すぎる

文句なし

ヒロトさん。あなたも勿論死ぬほどカッコいいけども

やっぱ"マーシー"さん あんたはアホかっこいいっす。

50過ぎて ヘソが出るほどのタイトTシャツに頭には常にバンダナと昔から一貫して貫き通しているこのスタイル。本当にかっこいい。

そのへんの奴が50過ぎてそんなんやっちゃったら《タダの変態》ですからね。


是非聴いてみてください。


"ザ クロマニヨンズ"


っす。

2015年12月1日火曜日

ここほど気持ちをいれてくれるたこ焼き屋はねーよ

僕にはこのカフェをはじめてから毎年必ず訪れる場所があるんですね。 そこは

"伊勢神宮"

です。そうなんです。お伊勢参りを必ず毎年行うんですよ。 とにもかくにも個人営業ってのは大変でなんやかんやあるもんでしてね、まー大変な毎日を過ごして来たのですが《今でもね》
店始めちまったしもうこうなりゃ神様に頼んどきゃまちがいねーだろ?しかも神の中でも超有名人の天照大神さんがいるっつー事で。行くことになったんですなー

なんて安易な。

まあとにもかくにもおかげさまって事で今現在まで楽しく営業させていただいております。


そんで、なんとなくだけど、もしも誰かが伊勢神宮に行く機会があれば是非一度訪ねてほしい
"たこ焼き屋"があるんですね。

そこは "桂" と言うお店。
お伊勢参りと言えば基本 内宮側に "おかげ横丁" と言う参道があったりして賑わいを見せているので"外宮側"は内宮側に比べるとすこーしサミシイ感じなんですよ。

んで、この"桂"さん
"外宮側"にあるんですよ。

内宮だけを見る方からしたら外宮まで行くのはまーけっこうなめんどくささ。

んでもこの桂さん

スタッフの方達の元気 100点
スタッフの方達の愛想 100点
たこ焼きの味、風味、香 200点!!!


ってなくらい個人的にはイチオシなたこ焼き屋。
なんっつっても注文してからたこ焼きをもらえるまでに20分程かかったりする…。オセーヨ!って思うかもしれない。
だが個人的にはそこもまたいい。


まーとにかくここは最高なんですね。
一度行ってみて下さいよね。

2015年9月30日水曜日

インドを歩けば 22 ~サヨナラまいふれん~

俺はニューデリー空港に佇んでいた。

アグラの街からここまでの道程は実にスムーズだった。
タージマハールを観光し日本人ご夫婦とお別れを告げた翌日、早々に身支度をすませた俺はアグラ駅から列車に乗り込み何事もなくすんなりとデリーに到着。その後は適当に市街をぶらつきタクシーをチャーターする。
渋滞もなく出発まで十分なゆとりを残し空港へ到着した。
インド最終日は初日から今までが嘘だったかの様にトラブル無く進んだのだ。

"ヘイマイフレン!!"

"よう!わたしは大沢たかおとトモダチだ!だからお茶を飲みにいかないか?"

"ヘイ!!俺の友達の宝石屋に行かないか?"

相変わらずわけわからん事をひたすら話しかけてくる奴等。

《ビビー!ビビー!》
鳴り止むことのないクラクション
《ものスゲー香辛料の匂いがこびりついた街。》
《スーツの人間》
《ぼろきれをまとって横たわる奴等》
《足がないのにキラキラ輝く子供達》

もうここから去るのだと思うとあんなに鬱陶しかった奴等.あんなに嫌気がさした汚い食い物.気を抜けばあっと言う間に倒れそうになる街も不思議と微笑ましく、そしてほんの少し愛しく感じるから人の心と言うのは本当に不思議だ。

遂にここインドともお別れ。
俺は日本に帰るのだ。

色々な想い出を胸に俺は日本行きの飛行機へ乗り込んだ …………










…………………………………………………………………………………………


この旅を終えて日本に帰ってきてしばらくは

"あんなバカみてーな国もう100パーいかねー!"
そう皆に豪語していたのだけど

不思議ですね
今はもう

"必ずもう一度行こう。今度はもっとゆったりと"

なんて事を思っています。

インドから帰ってきたばかりの頃、毎日の様にどうだった?楽しかった?辛かった?ごはんは?なんで行ったの?左手は?てかバカ?

等々、とにかく色々な質問をもらいました。そのうちにひとりひとりに全てを話すのが面倒になり

"それではインドで何があったのか!少しずつ書いていきまーす!"

なんて言って書きはじめて気がつけばもう1年近く立ってましたね!びっくりです。大雑把にではありますがようやくこの
"インドを歩けば" を書き終えることが出来ましたよ。
いやはやまさかここまで長くかかるとは……。



まー、インド旅行を終えてから一年が立とうとしている今日この頃。
今でも想い出は風化すること無く常に僕の脳裏に焼き付いてます。


皆様も、是非!!行ってみてください!!
よくある《人生観が変わる》 なんて言う都合のいい事は間違いなく起きないとは思うけど、"生きているんだな俺は" そんな実感は毎日、毎時間、毎分毎秒。常に感じる事が出来ると思います。

特に "ひとり"で行ってみてください!笑


僕はまた必ずあの地を目指そうと思ってます。
またひとりで。


きっとまたわけわからんアホ達に会えることでしょう


長くなりましたが最後までわけわからんポンコツ旅行記を読んでくださった皆様。ありがとーございました。

最後は全然載せきれませんがインドで特に印象に残ったアホ達と共に撮った写真も含めてお別れさせていただきますね。


それでは


インドを歩けば ~おしまい~

2015年8月10日月曜日

インドを歩けば 21 ~鳥籠の中にいる~

タージ・マハールの見学を終えまさかの再会を果たした日本人ご夫婦とお昼ご飯を食べに行くことになった俺。


なんかいいとこないかなー


と、適当にブラついていると
"日本食堂"
と威風堂々書かれたレストランを発見!

ここだ!ここしかねえ。
俺は日本の料理が食いてえんだ!
そう判断した俺はご夫婦と共に食堂へと入っていった。
ガタイのいい店主に席へと通されメニューを見る

焼きうどん
玉子丼
らーめん
焼きそば

そんなメニューがズラズラ並ぶ。

こりゃーいい。俺はとにかく腹が減っていた


"焼きうどんと玉子丼で!"

ご夫婦はお腹は減っていないとの事でお二人ともチャイを注文する。

いやー楽しみだ
他愛もない会話をしながら楽しく料理を待っていると

ガタイの店主
"待たせたな!焼きうどんに玉子丼だ"



目の前には水分を吸いすぎてびっちゃびちゃに伸びきってしまったあげく次の日まで放置されてしまったんじゃねーか?と思われる程の"びっちゃびちゃ"の液体と
玉ねぎ9の玉子1 位の不思議な割合の"玉ねぎ丼に卵を少し添えて"みたいなもんが到着した。


やっぱな。もうここまでくればなんとも思わないさ
不思議な食物をてきとーにかきこみ(言うまでもないが信じらんないくらいまずかったです)
ご夫婦お二人とインドに来てから今まで起こってきた様々な出来事を御互いに語り合った。


そうこうしてる間にあっと言う間に時間は過ぎ夕暮れ時に



"じゃーそろそろ部屋に戻りますよ。僕は明日デリーに戻って日本に帰ります"

ご夫婦
"そっか、とにかくまた会えて本当に嬉しかった!僕等はこれからまだしばらく世界を回ってみるけど日本に帰ったら是非もう一度会おうね!"



"はい!じゃー、さよなら"


そう言ってお互い別々の方角へ歩き出した。
いよいよこの旅も明日で終わろうとしている。
振り返ってみると短い期間であったが実に色々な事があった。そしてこのご夫婦ともこんなに広い世界の中でまたも再会する事になるとは。日本に帰ってからまた再会できるのかどうかはわからないけれどそれはそれでいいな。
広い広いとなんとなく思っているこの世界も、本当は鳥籠の様なもので本当に縁があるのならばその時は何度でも会えるのではないか。そんな不思議な事をぼーっと考えながら部屋へと戻るのだった。


続く

2015年6月25日木曜日

インドを歩けば⑳~タージ マハール~

ホテルで着替えを済ませた俺は世界遺産"タージマハール"へと向かう事に。

ホテルマンにタージマハールまでどのくらいの距離か尋ねるとホテルから1キロほどでたどり着けるらしい。
最後の目的地だ、歩いていくか。

ホテルから外へ出て大通りをひたすら直進し続けると…
少しずつ…少しずつまーるい肉まんの様な形の建物が見えてきた。 そしてその建物の前まで辿り着いたおれ


遂に来た。これがかの有名なタージマハールか。


インドらしからぬ超厳重なセキュリティ(無駄にカロリーメイトまで没収されそうになりセキュリティを弾き飛ばしました)を突破しいざ、タージマハールへ






なんか良くわかんねーけど


スゲー

俺はなんか良くわからんがひたすら感動していた。 威風堂々 勝ち誇ったかのように立ちはだかる肉まんみたいな形をした建物。

その建物を厳重に守るセキュリティ達

神聖な表情で歩き回る"インド人観光客"

そしてこの威風堂々とした建物の前でワケもなく感動しているオレ

この建物は一体、なんの為に作られたのだろうか

↓↓↓

※タージ・マハルとは、インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟。インド・イスラーム文化の代表的建築である。


↑↑↑


そうだった。
シャージャハーンが好きすぎた自分の嫁のムムターズマハルに作ってやったデケー墓だった。。


だからさ、シャージャハーンって誰だよ
ムムターズマハルって誰だよ
てか墓なんだココ


嫁に依存しまくった結果、好きすぎて作ってしまったとてつもなくデカイ墓に感動しながら佇んでいると


謎の声
"こーたさん?"


誰かに声をかけられた
ん?しかも日本語?なぜここで?


振り返ると なんと


ヴァラナシ行きの電車でお世話になりまくった世界一周中のご夫妻が目の前に…!!
(詳しくはインドを歩けば⑧を見て下さい)



"え?なぜここに!?まさか再会できるなんて"


旦那様
"いやー、インドはもう本当にいやだったんだけど最後にタージマハルだけは見ようと思ってね。でも、大したことないねここ"


俺は先ほどまで、ただただデケー他人の墓に感動していた事をひたすらに隠し



"そうっすね!"


そう答えていた


続く

2015年6月13日土曜日

インドを歩けば⑲~ アグラ ~

遂に最終目的地、"アグラ"の街に辿り着いた俺。
目の前には相も変わらずアホみたいな大量の人間、ウシ、ラクダ、サル、リス、ネズミ等々その他様々なバラエティ豊かな面々が俺を出迎える。

どこまで行ってもやはり"インド"は"インド"なのだ。

さて、まずは適当にリクシャーマンと交渉を重ね安宿に連れていってもらうことに。


"どこか宿へ行ってくれないか?安いとこ"

リクシャーマン
"オッケー!安くて最高の宿に連れていくよ!"

怪しすぎる……だけどもうどうでもいーやと開き直っていた俺は適当にイマイチ特徴のないリクシャーマンに連れていってもらうことにした。


アグラの町はデリーやヴァラナシに比べるととても静かな町だ。駅からすこーし離れてしまうと特に何もなくなり車などの台数も少ない。
だが、歴史的建造物。世界遺産でもあるタージ・マハルを中心に様々な観光名所が用意されている。
(俺はこのタージ・マハルを見るためにアグラに来たのです)
なんだかホッとしながらリクシャーに揺られること10分ほど……


特徴なしのリクシャーマン
"ついたぞ!ここは安くて最高のホテルさ"

……!?


上品な白塗りの外壁に囲まれ宮殿の様な形をした迫力のある建物が目の前に現れた。


超立派!!!え?ここ超立派!!超キレー!!
え?てかここいくら???え?え?なに?ここなに?



"いや、ここたけーだろ?"

特徴なし
"ここは俺の知り合いがやってるからな!安心してくれ!ついてきな!"

そしてこの特徴なしと共にフロントに行くとなんと


"¥700ルピーでいいぜ。"


とフロントマン。


なんてこった。日本円にして約1400円ほどで日本なら"銀山温泉の藤屋"クラスのリッパなホテルに泊まれるなんて(あくまでインドレベルでの話です)
俺はツイている、なにやらアグラに向かってからと言うもの、

"インド人に親切にされる"

と言う世にも珍しい出来事が次々と続いている気がする。

"特徴無し"にしこたま礼をいい迷わずホテルへチェックインした。

さて、宿も決まった。行くとするか。遂に最後の目的地


"タージ・マハル" へ…


※タージ・マハルとは、インド北部アーグラにある、ムガル帝国第5代皇帝シャー・ジャハーンが、1631年に死去した愛妃ムムターズ・マハルのため建設した総大理石の墓廟。インド・イスラーム文化の代表的建築である。


……


シャージャハーンって誰

ムムターズ マハルって誰

ムガル帝国ってなんなの



なんもわからないまま俺はタージ・マハルへと向かうのだった。



続く

2015年5月15日金曜日

インドを歩けば⑱~アグラへ~

ヴァラナシの街に別れを告げ最終目的地"アグラ"へ向かう列車 "マルダールエクスプレス"
に乗り込んでから数時間…。



俺の腹は"限界の先"に辿り着いていた


インドに到着して間もない頃は警戒に警戒を重ね、ありとあらゆるインドの"食物"を拒絶してきたのだが2日、3日と過ぎていくうちに一歩、また一歩と警戒心は氷の様に溶け、 ヴァラナシの街を出た今ではインドの全ての"食物"をマザー・テレサの如く受け入れてしまっていたのだ。


やっちまった。本当にやっちまった。


とにもかくにもぶっ壊してしまったものは仕方がない。出しきるしかないのだ。
俺はその後4時間ほど
寝台シート→ 便所 →寝台シート →便所 →寝台シート→………

秋元さんでもきっと耐えられぬほどの"ヘビーローテーション"を繰り返し続けた。


出すものも全て出しきり気持ち的には20㎏程の減量に成功した頃、俺のシートに一人のメガネをかけた華奢な若者が突然腰掛けてきた。


メガネの若造
"やぁ、どこまで行くんだ?"


"アグラだ"

メガネの若造
"おー!アグラか!あそこはいーぞ!それじゃあ着くまでなんか話そうよ!"

それじゃあの意味がわからん…
俺は正直、純粋にとてもイヤだったし、20㎏の減量後の体力では"力石徹"←明日のジョーを見てください
の様にこいつに喋り殺されるのではないだろうか?そう思ったのだが追い払う体力もなかったので適当に相槌を打ち続けていた。


しばらく適当に相槌を打ち続けていると若造がこんな事を言い出した。

若造
"ねえ?なんか体調が悪そうだよ?大丈夫かい?"

(半分はお前が原因だ)


"いや、大丈夫だ。食い物にあたっただけだよ。とりあえず上からも下からも出すもんは全部出しきったはずだしもう平気だよ"


しばらくジー…っと俺の顔を覗きこんだかと思うと突然シートから立ち上がりダッシュでどこかへ消えていく彼。


(なんなんだあいつ?なんか俺悪い事したっけ?意味わかんねー奴だ。まあいい、原因はなんだかしらんが厄介者がどこかへ遠ざかってくれたのだ。)

と、思っていると…
車両のハジッコから物凄い笑顔でこちらにダッシュで戻ってきたのだ


(え?なに?え?なに?)


若造
"やはり体調が悪いのは良くないよ!コレを食べて!"


差し出された彼の右手には小さなリンゴがあって気を使っているのか念入りにタオルでゴシゴシと拭いたあと俺に手渡してくれたのだ。


若造
"水で洗うとまたお腹を壊すかもしれないからしっかりとタオルで拭いたから大丈夫だよ!さあ食べて元気をだして!"


俺は泣きそうだった。
ごくまれにインドでも現れるガリガリ君の当たり棒くらいレアな種族
"タダのいい奴"
が目の前にいる。


だが1つだけ言わせてくれ。そのタオル、ペンキまみれだよね?何をこれまでに拭いてきたんだい?


まーいーさ


そして俺は、彼を心の底から邪魔者扱いしどっかに消えてくれと願ってしまったその思いを心の底から恥じ感謝の気持ちと共にリンゴを頬張った。



若造
"うまいだろ?あ!僕はこの駅で降りるんだ!またお話ししようね!サヨナラ"



"とても旨いよ。どうもありがとう。サヨナラ"


こうして、あまりにも親切だった若者は元気よく列車から降りていった。


それから数時間後、列車は遂に最後の目的地"アグラ"の街に到着した。

※それから数時間後、更なる腹痛に襲われたことは"若造"には内緒だ



続く

2015年5月9日土曜日

インドを歩けば⑰~そろそろヤベーな~

それから数日、特に代わり映えのない行動(ひたすらヴァラナシの街を歩く)をHや他の旅人達と繰り返し続けていた俺に、ある1つの思いが浮かびはじめた。
それは


"そろそろこの街出なきゃヤベーな"
そんな思いだった


この街にいると、"暇"なのは事実なのだが"退屈"とは無縁なのだ。 一歩街を歩けば善悪は別として何者かに必ず声をかけられるし宿に戻れば様々な国からなんらかの理由でこの"アホみたいな国"に辿り着いた旅人達がいる。そしてそんな奴等とあーでもないこーでもないとだらだらと過ごす事になるのだがこれがまた"幼少期の夏休み"の様な感覚に陥ってしまい


"ちょー暇だしなんもしてないけど生きてるんだしこれはこれでいいんじゃねーか?"


そんなヤバい事を思わせてくるのだ。


(このままではヤバい。このままだらだらと過ごしていると日本に帰った時、日本とインドとのギャップにやられもうやーめた。とか言いながら店を布団くらい簡単にたたんでしまう可能性すらありえる)


1日でも早く出ようと判断した俺は早速ヴァラナシの駅に向かいこの旅の "最後の目的地" アグラの街に向かう寝台列車のチケットを購入した。


そして、いつの間にやら親しくなったたくさんのアホゴミインド人達や、最後までメシアだったH…皆にお別れを告げアグラ行きの列車へ乗り込むのだった



※電車は勿論、10時間遅れでの到着でした。アホか


続く

2015年4月10日金曜日

インドを歩けば⑯~君はメシアだった~

ヴァラナシの街特有の迷路の様に入り組んだ道をHと並びスタスタと歩く俺。
どれくらい歩いただろうか…歩き疲れ始めた頃に彼が口を開いた

H
"ここどこだ?"

え?


"いやいや、俺に聞くなよ。わかんねーよ。ゲストハウスは近かったんじゃないのか?"

H
"いや、そーなんだけど迷った"



そう。この街は冗談抜きで入り組みすぎている為、下手なアトラクションの100倍本気の"迷路"なのだ。
よって俺達は、近くのゲストハウスに向かうどころか自分たちがどこにいるかもわからなくなってしまった。


その辺の物売りやリクシャーマン、警察官の職務を100%放棄した"警察官"等々バラエティ豊かな様々なメンツにたずねまくるが様々なメンツの誤った情報によりおよそ徒歩10分の距離を2時間ほどかけようやくゲストハウスに辿り着いた。


H
"ここだ!とりあえず飯を食おう!屋上に食堂があるんだよ!"

(サンディヤゲストハウス)と建物の外壁に大きなスペルがあり、5階建てで中々にアジのある建物であった。


"そーだな、とりあえずメシだ"


そして屋上にあがるとインドで入ってきた食堂の中ではダントツに綺麗な、しかもテレビつき(なぜか忍者ハットリクンが放送されていた。ハットリクンは勿論ヒンデゥー語を流暢に話していた) の食堂が目の前に広がる。


なにやらHがゲストハウスのスタッフに俺の事を耳打ちしているようだ


ゲストハウススタッフ
"よう!マイフレンド!とりあえず腹減ってんだってな?超ウマイカレー食わしてやるよ!"



"おう たのむ"


H
"こーた、ここのカレーは本当にウマイぞ、バターチキンカレーにしとけよ"


"そーだな、じゃーそれ"


注文してから30分ほどたった頃、料理が運ばれてきた(インドでは一時間"場合によっては2時間"ほど料理が出てこないこともしょっちゅうあるので30分はかなり優秀と言える)


ゲストハウススタッフ
"待たせたな!バターチキンカレーだ!"


これまでインドで見てきたカレーとなんら代わり映えのない見慣れたインドカレーが目の前に置かれる。


〈やはりな。これまで食ってきたカレー同様、キレイさっぱり"コク"と言うものを排除され味気が一切なかったり、ただただ辛いだけのカレーで間違いあるまい。まあハナから期待などしていなかったさ、もはや少しはインドの味になれた俺だ。せっかく彼がここまで連れてきてくれたんだ。適当に旨い"フリ"でもするさ。〉

そう思いチャパティ(インド人達の主食でほぼナンだと思えば良い)をカレーにタップリとつけ、思いっきり頬張る俺。








………………………………










!!!!!!!!!!!!!!
うめぇええぇえええええええええぇええええええぃ!!!!


あまりの旨さに動揺を隠せなかった俺はこの旅のストレスで遂に自分の味覚がどうかしちまったのか??
と思うほど混乱した。
まさかここインドで"旨い食事"にありつくことが出来るなんて……。
俺は半ば混乱した思考のなか、付け合わせの"グリーンティー"に手を伸ばした。













………………








まじぃぃいいぃいぃぃいぃいい!!!
なぜかあめぇえええぇええ!!!!!




俺は自分の味覚がまだ正常であった事を確認しまた最高に旨いカレーを頬張るのだった。
だがそれにしても本当にうめえ。なんなんだ


H
"ここのカレー旨いだろ?俺インドに来てから唯一旨いと思ったよここのメシは"









"ああ、そうだな"





俺は名探偵コナンがヒロインの"ラン"に対し普段は(ラン姉ちゃん)と可愛く呼ぶのに時折〈ラン!〉と信じらんないぐらい男らしい声で呼び掛けるのと同じくらい違和感のあるイイ声でそう答えた。


続く

2015年3月29日日曜日

インドを歩けば⑮~メシア?~

さてさて、"ヴァラナシ"に到着してから数日がたち少しずつこの街にも慣れてきた俺 (腹は永遠に慣れる事は無さそうだ) はお決まりだが、なんもやる事もないのでガート沿いをアテもなくブラブラと徘徊していた。


ボケーっと川を眺めながら歩いていると…
ゆっくりとこちら側に歩いてくる"アジア人"男性を発見した。
中国か韓国の奴だろーな、と素通りしようとすると…

アジア人
"もしかして…日本人ですか?"

ん…?
んん…?
………!!!?
日本語!?


"日本人です!あなたは?"

アジア人
"おー!そうです!日本人です!!東京から来ました!"


"ぅおおおおおぉお!!日本人ですか!"


その後しばらく、他愛もない話でアホみたいに盛り上がった日本人二人
(日本では100パー盛り上がらないつまらん会話ですらここインドにいると死ぬほど楽しいのだ。
事実俺は、帰国後この時の会話を思い返してみたのだがなぜあんな笑ってたの??と冷や汗が出るほど何一つ面白くなかった事だけを記憶している。)


どうやら彼は俺と同い年の男で名は"H"(実名は伏せときます)と言うらしい。俺のインドの旅は"デリー"からここヴァラナシに辿り着いたのだが彼は"コルカタ"からここヴァラナシに辿り着いた様だ。
やはり彼もこの"インド"に辿りついてからというもの毎日何かしらのバトルを繰り広げ今に至ると言う。


H
"せっかくだから俺が泊まってるゲストハウスに来ないか?メシがとにかく旨いんだよ、そして皆いい奴等なんだ"


"本当に?まあやる事もないし腹減ったし行くか"


俺はインドに来てから2つ"諦めていた"事がある
1つ目は "うまいメシにありつく事"
2つ目は "心の底からいい奴と呼べる人間に遭遇する事"


だが彼は、もしも真実ならばこの2つの"諦め"の両方が一変に覆る台詞を俺にぶん投げてきたのだ。


俺は"江戸川コナン"の10倍ほど彼を疑いながらゲストハウスへと歩き出した。


続く

2015年3月13日金曜日

インドを歩けば⑭~ガンジス川でバタフライは出来ませんでした~

まだ日も昇っていない早朝の街をスタスタと歩く俺とメガネ。
何度も言うが


"なんでこのメガネと歩いてんの俺?"


まあいい。そんな事はここインドでは大した問題ではないのだ。それよりも今回の旅の目的のひとつ"ガンジス川で沐浴"をする事になった俺。


しばらく歩くとメインとなるガートが目の前に広がりひたすらにでかく雄大なガンジス川が威風堂々姿を表すのだが朝靄にうっすらと浮かび上がるガンジス川の様といったら問答無用で"神"の存在を認めさせる様な不思議な"力"を感じさせるのだ。


メガネ
"さあ、こーた!用意は出来ているか?服を脱いで川に体を浸せ!そして祈るぞ"



"わかった!!!"


そして俺は、すでにパンツ代わりに着用済みの海パン一丁になり遂に世界最大の聖なる川(と同時に世界最大の不衛生な川の一面も持つ)"ガンジス川"に突っ込む事に…

まず恐る恐るソロリソロリと足から少しずつ浸していくと…

ヌメっとした嫌な感触が走る。が、そんなん無視して強行的に飛び込む…と



つめてぇええぇええーーーーーーーー!!!
てかさみぃいーーーぃいーーーー!!!
(12月のヴァラナシの朝の気温は大体6.7℃程なのだ。)


浸かった状態でしばらく静止していると少しずつ体も慣れ余裕が出てきた


メガネ
"はっはっは!どうだ沐浴は?素晴らしいだろう?インドの人間はどんな時でもこのガンジス川に体を浸し神に祈るんだ。そして日々に感謝する"


今までにない真剣な眼差しで俺を見つめ声をかけてくるメガネ。



"確かにそうだな。なんだか不思議な気持ちだよ"


やはりこのメガネも含めインド人と言う人種は芯はしっかりと通った人間なのだろう。行動や言動の99%はわけわからんが宗教上なのか神様が絡むとやけに素敵な表情を見せつけてくるのだ。


だがメガネ、1つだけ言わせてくれ



"なんでコタツ位暖かそうなダウン着てガート沿いから俺を見下ろしてんの?"



"インドの人間はどんな時でもこのガンジス川に体を浸し神に祈るんだ。"


"お前川に浸かるどころかノースフェイスより暖かそうなモコモコのダウン着て俺を見下ろしてるだけだろーが!!!てかおまけに暖かいチャイ飲むのだけはやめろ"



"おい!メガネ!お前も入れよ!一緒に祈ろう"


メガネ
"はっはっはマイフレンド!冗談はやめてくれ!風邪引いちまうよ!"


…一瞬メガネ割ってやろうかと思ったがここはインド。やはりこんなことは大した事じゃないのだ。だけどやっぱチャイ飲むのだけはやめろ


なにはともあれ"ガンジス川での沐浴"を無事にやり遂げた俺はなんとなくではあるが"神の力"を感じるような気がしてとても気持ちが清々しかった。
これで俺が犯してきたたくさんの罪(バレンタインの前日、下駄箱に自作自演チョコを忍ばせていたM君の陰謀を皆に暴露したこと等々たくさんの罪がある俺)は洗い流されただろうか。とても気持ちが晴々しく心なしかこの街も輝いて見える気がしていた


のは10分程で俺の腹は再度"崩壊"した。


俺の罪はまだまだ洗い流される事はないようだ…


続く

2015年3月5日木曜日

インドを歩けば⑬~ またお前? ~

…イ …フ …ド

ヘイ … マ …レン…ド…

ヘイ! マイ フ …ンド!

ヘイ!マイフレーンド!!



!!!!!!


"ZARD"も驚くほどの"マイフレンド"の連呼で目を覚ました俺。
いったい何事だ?ここどこだ?宿の部屋だよな?なぜ"ヘイマイフレンド"がこんなにも近くで聞こえるのだ?


寝ぼけながらもパニックを起こし辺りを素早く見渡す。
部屋の入り口に 週8の日サロ通いを繰り返す渋谷のギャルもびっくりなドス黒いマッドブラックな肌の"メガネ"インド人が突っ立っていた。


…なんで?


メガネ
"ヘイ!こーた!出掛けないか?"


…なんで?


メガネ
"今日はガンジス川で沐浴をしようじゃないか!!はっはっはっは"


…なんで?


メガネ
"さあ早く!行くぞー!はっはっは"


…なんで???










なんであん時の"ボートマン"俺の部屋訪ねてんの?
※詳しくはインドを歩けば⑩、⑪をご覧ください



"お前なんでいんの?"


メガネ
"はっはっは!友達じゃないか!今日はガンジス川で沐浴をして身も心も清めようじゃないか!"


いつから友達に? てか理由になってねーよ? てか宿の人間なんでいれたの?てかまだ朝4時だよ? てかなんでメガネいんの?なんでメガネいんの?
様々な疑問や苛立ちが俺の頭を縦横無尽に駆け巡っているがここは"インド" 考えるだけ無駄なのだ。



"…そーだな。いこーか"


ここにきて俺は、少しずつ、少しずつだが "インド"を受け入れはじめていたのかもしれない。
そして遂に聖なる川ガンジス川で"沐浴"をする事になるのだった。


※沐浴とは簡単に言うとガンジス川に体全体を浸からせ祈りを捧げる儀式でありここヴァラナシに来たら誰しもが必ず耳にする儀式である(日本人がやると様々な菌が繁殖しまくっている為ほぼ体調不良、もしくはなんらかの病に犯される為基本やらない様です)


この"沐浴"の目的だがヒンドゥー教の教えでは沐浴を行えば全ての罪を洗い流してくれると伝えられているため様々な人間がここに集い沐浴を行う。
人間であれば誰しもが大なり小なり"罪"は重ねるもの。それをこの川にダイブしてしまえば全部なくしてやるよ。とそんな簡単にかよ!と思えるような魅力いっぱいな行為なのである。


続く

2015年2月23日月曜日

インドを歩けば⑫~サイババのいとこ~

物凄い尿意でふと目が覚めると時刻は午後の1時になるところだった。

インドについてからと言うもの、ツアー詐欺のバカやアホリクシャーマン、メガネボートマン、永遠に来ない列車。とにもかくにも色々な厄介者と衝突し続け気が気じゃない日々を送っていた為かほとんど寝れていなかった俺…その影響なのか


なんと俺は


"ノンストップで20時間近く眠っていたのだった"
しかも超不衛生なベッドの上で…非常に心地好く…


用を足し、さて何をしようかと考えるが
…特になにも思いつかずとりあえず街を歩く事に


とてつもなく多彩な"色"を持つこのヴァラナシの街を心から楽しむにはただただ"歩く"のが一番の近道かもしれない。
少なくとも"凧上げ"よりは


フラフラと歩いているとどんな見方をしても"物乞い"にしか見えないガリガリのインド人が


ガリガリのインド人
"ヘイ、占っていかないか?"


と意味深な言葉をかけてきた



"え?なにを"


ガリガリくん
"君の全てさ"


喜びや怒りや哀しみや楽しさや腹痛や彼女欲しさや金欲しさや旅行行きたさやルイヴィトン欲しさや愛しさと切なさと心強さを浮かべた憂いの表情でそう問いかけられると妙に占ってみてもらうか?なんて、そんな気持ちになった。



"いくら?"


ガリガリくん
"2000ルピーでどうだ?"



"いらねーじゃーな"


ガリガリくん
"なんでだ?俺は君のすべてを本当に見る事が出来るのに"



"いやたけーよ、てかお前そんな凄い奴なの?"


ガリガリくん
"フフフ、まあ凄いって言えば凄いな。なんてったって俺はあの"サイババ"の"イトコ"だからな!!!"


な、なに!?こいつがあの"サイババ"のイトコだって?もしもそれが真実だとすれば"全てがみえる"事にも納得が行く。どうする?俺。

少し悩んだが…
いや、しかし高すぎる。惜しいがやめておくしかないな。



"とても残念だがやめておくよ。またいつか"


ガリガリくん
"フフフ、そうか。かなり勿体ないことをしたな。じゃーな"


…見てもらえば良かったかな?サイババのイトコになんてもう2度と会えないぞ…なんて少し後悔しながらも再度街をぶらつく事に。
フラフラと歩き日本の汚い店を5000倍程更に汚くした"カフェ"っぽいお店に入った。
適当に注文を済ませボーッとしていると恰幅のいいゴリラの様なインド人が声をかけてきた


ゴリラ
"よう。マイフレンド!占ってやろうか?"



"え?お前だれ?何を占ってくれんの?"


ゴリラ
"君のすべてさ"



このセリフ、そしてこの全ての感情をひとつの表情で見事に表現しきっている憂いの表情には覚えがある。まさかこいつは…



"あなたは何者ですか?"


ゴリラ
"俺は全てを見る事が出来る特別な人間さ。なぜなら俺はあのサイババのイトコだからな、2000ルピーでど……"


んなわけあるかボケ。やはりさっきのガリガリくんも偽者だったのだ。どうやらこの街では"サイババ詐欺"も行われている様だ。



"さよーならどっかいけアホバカ"


店をでてやる事もないのでまたも歩きだした俺。



その後俺は、特になんの目的もなかったので1日ひたすらに歩き回っていたのだが、部屋に戻るまでの間に4.50人程の"自称サイババのイトコ"に声をかけられ続けたのであった。
二度と会えないどころかこの街を歩いている限り"何度でも"会う事が出来るじゃねーか。
俺は"惜しい事をしたか?"なんてちょっとでも考えてしまった自分の思考回路の浅はかさを恥じながらネズミとほぼ共同のベッドにダイブしたのだった


続く

2015年2月11日水曜日

インドを歩けば⑪ ~向こう岸~

ボートに乗り約30分ほどでヒンドゥー教徒にとって"不浄の地"とされる"向こう岸"へたどり着いた俺。

"不浄の地"と呼ばれるこちら側の大陸は本当に"なんもない"と言う言葉がピッタリとハマる様な場所で見渡す限りとにもかくにも"なんもない"のだ。

砂漠の様に砂辺が果てしなく続き、ちらほらとなんの為に来たんだかわからんインド人達が"カイト遊び"を甲子園大会決勝の当事者の様な真剣な表情で楽しんでいる。
※カイトとは凧上げの様な遊びの事です。


(向こう岸は楽しいぞ~!!!はっはっは)
メガネは俺にそう言っていた




超つまんねーんだけど




"おい、何がおもしろいの?"

メガネ
"はっはっは!カイトをあげようじゃないか!"

インドまできてなんで凧上げ??


"もういーや。写真もとれたし戻ろう"

メガネ
"何いってんだ!ここまで来たんだ!カイトをやろう!"

なんでそんな凧上げやりてーの?
とにもかくにもカイト遊びに付き合わない限り戻ってくれそうにないメガネの態度に観念しどこに隠し持っていたのかいつのまにやら用意されていたカイトをメガネと二人で上げる事に。


メガネ
"俺は凧上げが最高に上手いんだ!見てろ!それ!ハハハハハハハ!!!ほら!見ろよ!どうだ!?ハハハハハハハ!!ソレソレ!!ウワヒャハハハ!!!ウヒョ!"



メガネはアホみたいに凧上げが上手かったしアホみたいにはしゃいでいたしアホみたいな顔面でゲラゲラ笑いながら走り回っていた。



こうして、2時間以上凧上げを堪能したメガネはようやくガートへ戻る事を許可してくれたのだった。


凧上げでここまで体力を使ったのは間違いなくこれが最初で最後だろう…くたくたになりながらメガネが漕ぎだしたボートでくつろぐ俺。
このくそメガネが。とにかく一刻も早く休みたい…。そんな事を考えていると


メガネ
"ヘイ!こーた!あれを見ろ!とっても綺麗だろー!!ワハハハ!"


いちいちうるせーよメガネ
重い首をあげメガネが指差す方向に目を向ける


……とんでもない絶景が目の前に広がっていた。


世界最大の聖なる川、ガンジス川に夕陽が沈んでいきガート沿いの旧市街、不浄の地と呼ばれる向こう岸、力強く建ち並ぶ寺院、水浴びをしてはしゃぐ子供達、物思いに更けるサドゥ、憂いの表情を浮かべ不思議なメロディを奏でるシタール奏者。そんな"ヴァラナシの全て"の光景を神々しく夕陽が照らしなんとも言えない素敵な"雰囲気"を醸し出しているのだ。

不服ではあったが俺は少しこのメガネに感謝していた。こんな光景が見れたのだ。メガネの"カイト遊び"に付き合うのも悪くなかったのかな。と。

※バットトリップして死にかけているバカや川にう○こをかますインド女、カレーみたいななんかよくわからん食い物をひたすら川にぶん投げ続けるおっさん、等々バラエティ豊かな連中も当然の如くこの光景に含まれ溶け込んでおりました


ガートへ戻った俺は本当に疲れていた。
とにもかくにも一秒でも早く眠りにつきたい俺はメガネに宿を紹介してもらい粗末な適当な宿に泊まることに…。クソキタネーベットにダイブし横になった数秒後には俺の意識はすでに別世界へ誘われていった…インドについてからようやくまともに眠りにつく事になったのだった…





続く

2015年1月31日土曜日

インドを歩けば⑩〜ボートマン〜

さて、ガンジス川についた俺はまずガート沿いを端から端まで歩いてみることにした。

(ガートとはガンジス川沿いに続く旧市街の中の歩道の事。約5.6キロ続いていて、各ガートにはそれぞれの名称がある。 その中でも特に知名度の高いのがダシャーシュワメードガート、と呼ばれる岸辺のほぼ中心に存在するガートでより多くの巡礼者がここで"沐浴"をする事になる。)

"ラマ老人"が連れてきてくれたのが"アッスィーガート"と呼ばれる旧市街では上流の一番端に当たるガートだった。

なんのあてもなくただフラフラとガート沿いを歩く俺。デーブ・スペクターより上手い日本語で声をかけてくる少年や俺はサドゥーだ。だから金をくれ!とわけわからん事をほざく老人。(サドゥーとはほぼただの浮浪者だがなぜかインドでは聖者とされ崇拝される人間の事)
ドラッグをひたすらススめるアホ。
ヘラヘラと不思議な言葉で話しかけてきて突然ゲロを吐き何事もなかったかのようにまた同じように話しかけてくるインド女。

なんてとこなんだ...。てかあの女なんで吐いてんの?と思いながらも歩みを進めていく。

しばらく歩き、疲れてきたので<そう言えばインドについてからまともに寝れていなかったのだ>宿でも決めて今日は寝よう。まともに街を歩くのは明日だ。そう思い始めた頃...。

メガネのインド人
"ヘイ!俺のボートに乗らないか?"


ここヴァラナシのガートには多くの"ボートマン"がいてボートマン達は客を乗せガンジス川をボートでガイドする事を生業としている。


すでに多くのボートマンに無数に声をかけられまくっていた俺は"宿を決める前にまずはボートに乗ってみるのもありか"なんて思い始めていた。不思議だ。このインドと言う地にいると、何度も何度も声をかけられているうちにいつのまにか"諦め"とは違う別の感情が誘いにのってもいいかな?なんて事を思わせるのだ。



"んー、いくら?"

メガネのインド人
"1000ルピーでどうだ?"

(相場は150ルピー程、得意のふっかけがはじまるがもう気にもならない)


"さよーなら"

メガネ
"ヘイ!いくらならいいんだ?"


"100ルピーでどう?"

メガネ
"流石に厳しいよ!とっても大変な仕事なんだ、200ルピーでどう?"


"さよーなら"

メガネ
"わかったわかった!150でどうだ?"


"おっけー、じゃー行こう"


こうしてボートに乗ることになった。
観光客たちの多くはボートにのりガンジス川から旧市街の景色を写真に納めるのが定番のコースで当然俺もそのつもりでいた。
ボートに乗ってからしばらくたった頃、メガネがこんな提案をしてきた。


メガネ
"なあ、向こう岸に渡らないか?あっちから見渡す旧市街の景色は本当に美しいぞ。お前はいい奴だから特別連れてってやるよ"

(ガートから向こう岸の大陸には誰一人住んでおらずヒンドゥー教徒にとっては"不浄の地"と呼ばれ敬遠されているのだがごくまれに"向こう岸"に渡らせてやる。と言う提案をしてくるボートマンがいるのだ。)

疲れていた為一言二言しか言葉を交わしていない俺に“いい奴”って何を基準に判断してんの??なんなのこいつ。と思いながらも滅多に行けない"向こう岸"に興味を示してしまう俺。


"そりゃーいい。頼む"


メガネ
"ハハハ!オッケイ!あっち側は楽しいぞー!よし!行くぞ"



こうして俺は、聖なる川"ガンジス川"を渡りガートから反対側、ヒンドゥー教徒にとって不浄の地とされる"向こう岸"に向かう事になった。



続く

2015年1月22日木曜日

インドを歩けば⑨〜ヴァラナシ〜

腹はぶち壊したままだったが遂に世界最大の聖地とも呼ばれる"ヴァラナシ"の街へ到着した。


遂に来た。電車から降りた途端とんでもない人の量に唖然とする。(原宿の竹下通りが永遠に続く感じ) そんな喧騒の中、日本人ご夫婦とはここで別れることに。 (どうか楽しんで、お元気で) 強く握手を交わしサヨナラと言った。


またもここからひとりぼっち。俺は泣きそうだった。どうやら日本語での素敵な会話が俺の心を癒しまたも日本語を封印せねばならない...と言う状況が反動となりかなり堪えてしまったようだ。


気を取り直しまずは目的地(ガンジス川)まで行くためにオートリクシャーを捕まえる事に。


『駅からヴァラナシ最大の見所、ガンジス川周辺の旧市街と呼ばれる場所までは約4.5キロ離れている』


場所は変われどやはりここはインド。ドライバーを探す間もなく5秒に一度は声をかけられる。様々な奴に声をかけられ続ける中、他の者とは全く違う...異質のオーラを放つ老人が...


"よう。俺のリクシャーに乗っていかないか?どこまで行く?"


完全につるっぱげた頭にズタボロの布を巻き付け服だかなんだかも定かではない布を着用し、キティちゃんを500倍悪党にした様なキャラクターのプリントが全面に押し出されたサンダルを履いている老人だった。


不思議とこいつに頼もう。こいつなら信用できる。そう思ったのだ。



"ガンジス川の近くまで行きたい。いくら?"


キティサンの老人
"ガートだな。そうだな、80ルピーでどうだ?"

俺は唖然とした。なぜか?
ここ"インド"に入ってからと言うもの、リクシャーマンの全てが法外な値段をふっかけて来る。それをあーだこーだと文句を言いまくり交渉に交渉を重ねようやく乗車となるのがもはやインドのルールなのだ。


それなのにこの不思議なオーラの老人はしょっぱなから交渉など必要のないまともな値段を提示してきたのだ。逆に怪しんだくらいだ




"え?80ルピー?オッケー!てか本当に行けよ?絶対だぞ?土産屋とかいらねーからな?"


キティ
"ハハハ。大丈夫だよ。それじゃあ乗ってくれ"


老人のリクシャーは"サイクルリクシャー"だった。(ただの人力車の様な物でオートリクシャーとは違い人力で漕ぐ為ドライバーにとってはめちゃくちゃハードな乗り物) 名前は"ラマ"と名乗り年齢は本当に驚いたが"77歳"だと言う。
考えてみて欲しい。原宿の竹下通りの人だかりが永遠に続き更に牛やサル、犬、ラクダなどが行き交うデコボコ道を4.5キロも平気で大の大人を乗せ走っていく77歳の老人の姿を。
日本でそんな老人を見かけたらもはや凄い!を越えて"変態"だろう。


40分位走行するとリクシャーが止まった。


ラマ老人
"ついたぞ。気をつけてな"



"ありがとう。スムーズに行ってくれて本当に助かった。"


ほんの気持ちのつもりで80ルピーの他にチップで50ルピーを渡そうとすると


ラマ老人
"なんのつもりだ?いらん"


俺はここで、本当に唖然とした。それと同時に涙がでる程に嬉しかった。
やはりインドにもいるのだ。こんなにも誇り高くたくましい誠実な人間が。




"ありがとう。さよなら"


ラマ老人はニコッと笑い、向かって右側を指差しそのまま手を降って行ってしまった。


ラマ老人が指差した方角へ目を向けると


"ガンジス川"


が、たくましく流れていた。






続く

2015年1月16日金曜日

インドを歩けば⑧ 〜列車内で〜

遂にヴァラナシ行きの寝台列車"siva ganga express"に乗り込む俺。


電車に乗るまでの間だけでも色々な事があった。だがこれで目的の町"ヴァラナシ"に行く事が出来るのだ。ヴァラナシまでは約12時間ほど、しっかり体を休めておこう。
そんな事を考えながら自分のシートを探す。


(俺のシートは7番だったな...お、あったあった)


無事シートを発見しバックパックを置こうとすると...
ん??なんかいる。


何故か俺の7番シートに謎のインド人が既に横たわっているのだ...。
しかも、一人ではなく...二人も。
一体どうなってんだよ...インド。



"ヘイ!そこは俺のシートなんだ!悪いけどどけてくれ"

謎のインド人二人組
"ん〜、オッケィーぃぃい"


気だるそうな声を出したあと二人で思いっきり壁がわに寄りシートにほんの2、30センチのスペースをあけ再び眠ろうとするバカ二人。



"オッケィーぃぃいじゃねーよ。いいからよけろ"

謎のインド人二人組
"んんん〜?オッケイ!!!!!!"


と何故か今度はキレ気味で言い返してくる。だが全く動かないこいつら。


"..............."

無言で二人を引きずり下ろしようやく二人は撤退。ようやく自分のシートの確保に成功した。


さて、バックパックをバーロック(初日で既に華々しいデビューを飾ったあのバーロック、詳しくはインドを歩けば ③をご覧ください) で列車内の鉄柱にくくりつけゴロリと横になる俺。

本当疲れたわ...。とりあえずヴァラナシまではまだまだある。ゆっくり寝よう。

そう思って目を閉じた数分後だった。



(...............!!!!!)



腹が...いてぇ...
(そう、インドの洗礼は一度下したからもう終わりですよ。と言った生易しいもんではなかったのだ。)



ここで気を緩めてしまえばいつだって下界にダイブする準備は出来てるぜ。と言った状態の腹の中の妖精達を必死に押さえ込みそろりそろりと便所まで内股で歩く俺。(この時の俺の後ろ姿は世界1無様だっただろう)


無事、安定の汚さ(日本の使いふるされ放置された仮設トイレの500倍くらいかな)のトイレに到着し、腹の中の妖精達を下界へ解放した。だが腹痛はいくら出しても治まらず結局1時間近く昭和のヤンキーもびっくりな"便所座り"の姿勢を取り続ける事になったのだ。


とてつもなく弱々しい足取りでシートへ戻っていく俺(この時の俺の後ろ姿は宇宙1無様だっただろう)
なんとなく熱っぽくもありフラフラとシートに横たわり目を閉じると不思議な"幻聴"を聴いた。


謎の幻聴
"あの〜大丈夫ですか?"


早くも耳までイカれちまったのか俺は?
こんな所で完璧なまでの"日本語"が俺に問いかけてきたのだ。しかも優しい気遣いの言葉が...


(もう疲れすぎている。早くも日本が恋しいからって日本語の幻聴を聞いてしまうなんて...。とにかく寝よう。起きた時にはきっと体調だって耳だって回復しているさ)


謎の幻聴?
"あの、大丈夫ですか?苦しそうですけど...。"


???
またもや幻聴が...?なんなんだよこんな時に。もうこれ以上俺を苦しめないでくれ。休ませてくれ! そんな思いの中"謎の幻聴"が聞こえた方向へ重苦しい頭を向ける俺。


そこには...


どうみても"日本人"の男性と女性が俺を見つめていた。そして...


日本人女性
"ヤバそうですよ。薬、持ってますか?"
日本人男性
"なにかにあたったんじゃないですか?なにもかもが酷すぎますよね?この国"





俺は神を見た。


幻聴なんかじゃなかったんだ


日本語で話しかけられるのがこんなにも嬉しい事だとは...本当に泣きそうな位嬉しかった。


話をしてみると二人は30ちょい過ぎになるご夫婦で同じく"ヴァラナシ"に行くと言う。
世界一周の旅の途中だそうで、この列車に乗るまでに彼等も相当なインドの洗礼を受け続けた様だ。
まだたった2日しかインドに滞在していないが今まで行った100ヶ国以上の国の中でダントツナンバーワンに"クズな国"と豪語していた。


俺は日本語で話せる喜びと日本語でインド人の悪口をこんなにも共有できること。←悪口言いたくなるんですよ!

そして何より二人の人柄の良さで体調不良も忘れとにかく喋り倒した。
幸福な時間だった。
だがやはり、その後も俺は無様な格好で シート〜便所までを夢遊病のゾンビの様にふらふらと何度も何度も往復するのだった...。




...そして列車は遂に聖なる街"ヴァラナシ"へ到着した。




...俺のケツが悲鳴をあげ続け、20回目くらいの便所〜シート間往復中の頃の到着であった(まだ悲鳴は続いてます)



続く

2015年1月11日日曜日

インドを歩けば⑦〜寝台列車の罠〜

とてつもない雑踏のホームになんとか辿り着き
PM:7時30分発のヴァラナシ行きの電車を待つ俺。

<なんとか15分前にホームへ辿り着いた...あとは電車が来るのを待とう...>
ほっと安堵しながら時間を待つ。


時計の針はPM: 7時30分を指した。


<ヨシ、いよいよ来るな。遂にヴァラナシの街へ行ける>

...

時計の針はPM:8時00分 を指した。


<ん?大分遅れているな?まだ来ないのか?まあいい。時間ならある。ゆっくり待とうじゃないか。>


時計の針はPM: 9時00分 を指した。


<かなり遅れているな?何かあったのか?まあいいさ。ここはもうホームだ。黙ってりゃ電車は来る。急いでる訳じゃない。ゆっくり待とうじゃないか。>


この時の俺には余裕があった。ニヒルな表情を浮かべ電車を待つ。


時計の針はPM: 10時00分 を指した。


<遅くねえ?電車ちゃんとくんのか!?>


時計の針はPM 11時00 分を指した。


<遅くねぇぇええぇええぇえええぇえ!!??>


"急いでる訳じゃない、ゆっくり待とうじゃないか"と格好つけてニヒルな表情を浮かべていた俺の顔面はもうすでに地平線の彼方へ消え去り、そのかわりにどの角度から見てもこいつ"不安以外の何者でもねーじゃん"と一発でわかる(下手すりゃ後ろ姿でもわかっただろう)表情を大衆の面前に包み隠さず浮かべる事になってしまった。


俺が乗りたい電車 は PM7時30分発の "Siva ganga express" と言う電車なのだがこの時すでにPM11時過ぎ...この次に来る電車 "Mardare express" が ホームへ到着する時刻も回ってしまったのだ。


<おいおい...本当に来るのか?こりゃ聞くしかないな>


ホームにいるインド人の大群にひたすら聞いて回る俺...大体の奴の返答は能天気なもので
"大丈夫!多分そのうち来るさ!"との事。


なんとかしようにもなす術がない俺はもう待つしかなかった。





...




その後...PM:7時30分発の寝台列車 Siva ganga expressは威風堂々無事にニューデリー駅のホームへ突っ込んできた。


この時の時刻


"AM:3時30分"








頼むからこれだけは言わせてくれ




遅れ"すぎ"だろーが



遅れているとかそんなレベルじゃないだろ?もはや別の時刻の別の電車だろーが





...何はともあれ8時間の遅れで無事寝台列車は到着した。デリーの街からヴァラナシへ行く為に俺は遂に寝台列車に乗り込んだのだった。


だが、この時すでに...俺の腹は森公美子さんの声量の如く悲鳴をあげる一歩手前まで来ていた事を俺はまだ気がついていなかったのだ。



続く



※ちなみに、この時8時間遅れで到着した Siva ganga express の 遅れた理由は"特にありません"だそうです

2015年1月4日日曜日

インドを歩けば⑥〜さようなら左手〜

さて、とんでもないリクシャーマンを捕まえてしまった...。と思い次のリクシャーマンを探そうと歩きだすと探す必要なんて微塵もなくやはり数秒に一回声をかけられる。

インド人リクシャーマン
"ヘイ!マイフレンド!オートリクシャーに乗らないか?"


"コンノートプレイスに行きたい。頼むから連れてってくれ。50ルピーでいいか?"

インド人リクシャーマン
"当たり前だ!まかせとけ!じゃーいこう!"


"本当に頼むよ!"

やれやれ、こいつはまともそうだ。時間はかなりロスしたがこいつに連れてってもらおう。

インド人リクシャーマン
"オッケー!そんな事より俺の友達の宝石屋でも寄って行かないか?"


"おめーもかよ!!降りる。さらば"


なんなんだ??2度もこんなわけわからんドライバーを捕まえてしまった。ついてなさすぎる。まさか...デリーのリクシャーマンはみんなこんなドライバーばかりなのか?


その通りだった
<その後俺は、更に2度も同じ様にわけわからんリクシャーマンに連れ回されたのだった>


本当に疲れた。なぜ誰もコンノートプレイスに行かないんだ???なぜなんだよ!←今でもわからん
こうなったらもう...歩こう!考えてみりゃ3.4キロしか離れていないし、最初から歩けば良かったんだな。そう思い徒歩でコンノートプレイスを目指す事に。


いりくんだデリーの街をどうにかこうにか進みなんとかコンノートプレイスに到着した。
(勿論徒歩だろうが簡単についたわけではなく、コンノートプレイスは昨日全部燃えてなくなった等々その他色々なユニークな嘘を言いまくってくるインド人をひたすら追い払いようやく到着)


ヨシ!とりあえず、コンノートプレイスについた!その時だった...


ぎゅるるーるるん♪

...

<腹いてぇぇえぇええぇええぇい!!>



実は歩きながら少しずつ感じていたのだが気が付かないフリを無理矢理してきた腹痛がここで大津波の如く俺に襲いかかってきたのだ。


<早くもきたのか?インドの洗礼が。原因は...あれか?...いや、あれしかない。>


思い返せば数時間前、オートリクシャーでひたすら連れ回されていた道中、腹が減りすぎてリクシャーマンの一人に進められた大衆食堂で"タンドリーチキンとサモサ(芋を揚げたインドのおやつ)"を食っていたのだ。


とにもかくにも、腹がいてぇ。トイレはどこにある?気を抜けばコンマ数秒で外の世界へ飛び出そうとしている俺の腹のタンドリーチキンやらサモサやらをなんとか押さえ込みトイレを探す。


すると...目の前にトイレのマークが!!道端で50000円を見つけた位の喜びで速攻でトイレに駆け込む俺。


とんっっっっでもなく汚ねえトイレ(日本の汚いトイレの500倍くらい)に驚愕しつつもとにかく用を足す事に成功した俺は本当に安堵していた。助かった...。 その瞬間気がついたのだ。
紙がない...。
そう、インドのトイレには紙がないのだ。(高級ホテルやカフェにはあったりなかったり) どうやって拭くのか。インド人は左半身を不浄の半身と呼び左手を使いトイレにある水さしの用な道具を使って直接ケツに水をぶっかけ更に左手で器用に拭いとるのだ。


<どうする...俺。>
クソ!どうすればいいんだ。
...

...

...

インドにいる限りいつかはやる事だ...
やるしかねえ!






こうして、俺の左手は不浄の手となったのだった。


(食事中の方、本当にすいません。)


その後どーにかこーにかニューデリー駅までたどり着きどーにかこーにか19時30分発のヴァラナシ行きの寝台列車チケットを購入。
そしていよいよヴァラナシに向かうため、どーにかこーにかニューデリー駅ホームへたったのだった。

(コンノートプレイスからニューデリー駅到着や寝台列車チケット購入までも勿論色々な事が起こったのですが全て書いていると永遠にデリーから出れないのでカットさせてもらいます。気になる方は←いないと思うけど。直接聞いて下さい)


続く

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みなさま、こんにちは。 仙台市泉区のカフェ ROUTE99です。 オーガニック生豆を自家焙煎したコーヒー。素材にこだわった素朴なおかしたち。お店で焼いているパンをサンドイッチに! どうぞごゆっくり♪